読書猿さんにご相談です。
私は、ある社会学者の著作に長く影響を受けてきました。とくに、日常的な語りや当事者の経験を丁寧に聞き取り、外からは一見わかりにくい他者の行動や言葉にも、その人なりの筋道や背景を見出そうとする姿勢に、大げさにではなく、かなり救われてきました。
ところが、その研究者について、かつて指導を受けていた人からハラスメントの告発がありました。事実関係について、私が外から判断できるわけではありません。告発がすべて正しいと決めつけるつもりもありませんし、その研究者にも反論する権利や、生活や研究環境を守る権利、その他必要な防御をする権利はあると思っています。
ただ、私がつらかったのは、その研究者の応答が、告発者の語りを「なぜ相手は出来事をそのように経験されたのか。そしてどうしてそのように語るしかなかったのか」と考えるよりも先に、「事実ではない」「名誉を傷つけるものだ」「周囲が騒いでいる」と処理しているように見えたことです。
私は、その研究者の仕事から、「他者を理解する」とは、自分にとって共感しやすい人や、研究対象として記述できる人だけに向けるものではなく、自分にとって不都合な人、自分を批判する人、自分の権力性を問う人にも向けられるべきものだと思ってきました。
だから今回の対応を見て、これまで大切に読んできた本や考え方を、今後どう受け止めればよいのかわからなくなっています。
著者の仕事と、その著者自身の振る舞いは、どこまで切り分けて考えられるのでしょうか。
また、ある思想や方法論に深く影響を受けたあとで、その思想・方法論に深く関係するような、担い手の応答に失望したとき、読者はその言葉とどう付き合い直せばよいのでしょうか。
「もう読まない」と切断するのも違う気がしますし、「作品と人格は別」と簡単に割り切ることもできません。失望したまま読み直す、距離を置く、批判的に継承する、別の人の言葉として持ち直す――いくつかの道はある気がするのですが、まだ整理がつきません。考えるための補助線をいただけたらうれしいです。