
คำตอบของ きゅーび
最前線、か、どうかは分かりませんが、読んで下さる事に対して「作品が消費される」と感じたことはないです。
私にとって小説を書くという行為は、以前は現実逃避でした。介護をしてた頃の事ですね。このころは作品を書いてその世界にのめり込む事だけが現実から遠ざかる事の出来る時間でした。がむしゃらでした。毒の入ったものもいっぱい書いたと思います。それでも読んでくれる人がいて、評価されることは自分の居場所があったようで、ただただ嬉しかったです。
介護が終わったあとはほっとしましたが作家としては少し怖かったです。今までは恨みつらみで必死だったものがなくなった。それでも私に書き続ける『核』が残っているかな、と。でも最近の状況を考えると、がむしゃらな間に培った技術が、このふっと気が抜けたことによって生き生きと発揮されたのかもしれないな、と感じています。
こんな感じに、私にとって書くことは生きることと同意語で、読んで貰うことは不器用な自分を「それでいいよ」って肯定して貰えている気がしています。小説書くしか出来ない奴でも、それでいいよ、と。
なので私にとってはやっぱり消費されるという感覚はないです。どうしようもなく不器用なやつががむしゃらに必死になって作った料理を「美味しい」って言って貰えている、そんな気持ちです。

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ถึง きゅーび
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