えぬえみ
えぬえみさんの回答
犯罪ゼロならそれが一番ですよ。悪いことがそもそもないなら司法も何もなくそれが一番です。ですが、ここでの話は「□□ゼロ」ですよね?であればやはり、□□ゼロよりも冤罪ゼロが望ましいです。法治国家の理想〜なんて話ですらなく。 女性も冤罪被害が〜なんて話でもなければ、テーマが□□じゃなければ〜なんて話にもなりません、これは「冤罪ゼロってめっちゃいい」って話です。あるいは「冤罪大量ってめっちゃヤバい」って話です。 冤罪ゼロの世界は、つまり裁判が絶対間違えない世界です。そこではあらゆる犯罪はより簡易に告発されるでしょうし、人々はその告発をわざわさ疑わないでしょう。性被害の告発がいわゆるセカンド□□□に晒されるようなこともぐっと減るでしょう。裁判を待てばいいだけなので。 件のポストにも書きましたが、□□もその場で告発しやすくなると思いますし、周囲の人(特に男性)もより助けてくれるでしょう。両者を警察に引き渡すだけでよく、そこに躊躇はいらない。もちろん□□冤罪ガーとXで騒ぐこともない、満場一致で「□□犯はクソ!」と言ってくれるでしょう。 冤罪ゼロとは、善人が安心して善人でいられる社会であり、安心して悪人を裁ける社会なわけです。自然、犯罪自体も減ると思います。 まぁ、何をどう罪と見做すかという点は冤罪の有無とは別に論点であり続けるでしょうが。 逆に冤罪がよりある社会というのは、悪人を罪人として捌けない社会です。被害があり冤罪があるならどこかに真犯人がいるわけですし、本当に犯人を捕まえていたとしても、その人が世間に同情されたり被害者が疑惑の目で見られたりするかもしれない、なにせ冤罪があるのだから。 つまり、冒頭で「犯罪ゼロじゃなく□□ゼロでしょ」と言っておいてなんですけど、それこそ冤罪ゼロというのは他の犯罪も含めた司法機関そのものへの信頼の話になるんですよね。(逆に言えば、□□冤罪はそれほど危うい話をしている)。 司法を信用できないということはとても恐ろしいことです。私もあなたもいきなり犯罪者にさせられるかもしれないし、あるいは、私たちが被害者になっても犯人を捕まえてくれないかもしれない。 ごく普通に生きる人々にとって、司法に信頼がおけること、司法が人々に信頼されていることは、はっきりいって、□□の存在よりも重要なことです。
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