マシュマロちゃん
マシュマロちゃんさんの回答
チョコマロありがとうございます。 作品の魅力が作品の中にあるというのは幻想です。 作品の魅力は受け手の中で結実するもので、さらに言えば受け手との関係性こそが作品です。 文章はその器にすぎません。 それはつまり、作品はコミュニケーションの一形態だということです。 そのため、他の形態のコミュニケーションに秀でていれば、作品の魅力にも干渉しうるのです。 また、コミュニケーションですから、返事をしやすい声掛けがあるように、感想を書きやすい作品というのも存在します。 さらに、受け手とどういう関係性を発生させるかが作品ですので、作品の質も受け手次第です。 「悪くない」程度に思える作品でも、別の人には傑作かもしれません。 ニッチな部分を攻めた作品ほど人の深いところに刺さるので、そういった現象はよくあることです。 ですから「悪くない」程度という前提を前提として考えることも、実は難しいのです。 これらの要因から感想が多く送られることが考えられますが、結局はまぁ「受け手との関係性こそが作品だから」の一言に尽きます。 この考えは現代芸術の基本であり、あらゆる表現に通じるかと思います。 小説だってVTuber活動だって、結局は受け手との関係性をどう作るかがすべてなのです。 ですから効果的な場で受け手に届けて特別が関係性が発生すれば、そこら辺で売ってる既製品の便器を飾っただけでも歴史的芸術作品になり得ます。 実際そうやって便器が飾られたのが現代芸術の幕開けなんですよね。 気になる人はマルセル・デュシャンでググってください。 というわけでグタグタと書きましたが、魅力を伸ばすことが良いのは間違いないでしょう。 ただ、作品自体だけじゃなく関係性にまで視野を広げれば、より魅力的な作品が書けるようになるかと思います。 頑張ってください。 ちなみに受け手との関係性こそが重要だという考えは、現在開発中の小説サイトの根底にある思想でもあります。 ですからその小説サイトもメディアアートという現代芸術の一形態かもしれませんね。 リリースされたらぜひ使ってみて、受け手との関係性にフォーカスした状態を体感してください。
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