
マシュマロちゃんさんの回答
日本語ネイティブなら語彙力なんていりません。
観察眼のレベルを上げてください。
「『悲しい』ことをそのまま『悲しい』と表現してはいけない」とよく言われますが、あれを真に受けると駄文製造機になります。
より正確に書くならば、「『悲しい』という感情をさらに具体化することを怠って『悲しい』と表現してはいけない」です。
一口に「悲しい」という感情といっても、それが人生への絶望なのか、大切な人を失った喪失感なのか、それとも小腹が減ったのにお菓子がない不満でしかないのかで全然違うものになります。
なのにそれを「悲しい」で済ませてしまうと相手にはまるで伝わらないよ、ということなのです。
「ストレートに表現するな。語彙力を駆使して回りくどい表現をしろ」ということではないのです。
では具体化してもまさに「悲しい」としか言いようのないものを表現するとしたらどうなるのか。
そういう場合は「悲しい」と書けばいいのです。
ストレートに書くのが一番伝わるからです。
例えば「小説の神様」と呼ばれた志賀直哉には、近代文学における技術的模範とされた『城の崎にて』という掌編があります。
そこで「さびしい」としか言いようのない描写が綴られるのですが、その情緒が最高潮に達した一文は、どう書かれたか。
それは「淋しかった」のたった5文字です。
正確に表現しているなら、それだけでいいのです。
さすがに多くの人が「さびしい」という日本語は知ってますよね?
例に挙げた志賀直哉の表現おいて、語彙力は明らかに関係していません。
しかしその文章は技術的模範とされているのです。
物事をスパッと表現できないために「言葉は知っていてもそれを使いこなせない」と感じているのでしょうが、それは語彙の問題じゃありません。
足りないのは表現したいものが何かを見つめ、それがざっくりとした概念ではなく具体的なものであると発見する観察眼です。
ではどうやってその観察眼を養うかというと、訓練するしかないと思います。
うまく表現できないときに、「もっといい言葉はないか」と探さないでください。
目の前にあるものが明確ならそれを書けばいいだけなので、表現する言葉を探す行為に至っているのはおかしなことなのです。
表現したいものが明確になるまで、「もっと具体的に! もっと具体的に!」と必死になって観察してください。
観察眼は筋力と同じです。
自分の内面や想像の細部をしつこく観察し続けることでのみ、観察眼マッチョになれます。
そして観察眼マッチョになれば、語彙力のせいにしたくなってしまうレベルは脱すると思います。

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