マシュマロちゃん
マシュマロちゃんさんの回答
作品が評価されることを受験にたとえると、5教科の総合得点で決まるタイプじゃありません。 5次試験くらいまであるタイプで、1次試験の「読みやすさ」で合格しないと次にいけません。 1次試験を突破しても、2次試験は適性検査です。 読み手の肌に合う作風かどうかが問われます。 2次試験を突破して3次試験くらいでようやくクオリティが問われます。 つまり、どれほどクオリティが高くても、「読みやすくて肌に合う」作品じゃないとあまり評価されません。 その反面、どれほどクオリティが低くても、多くの読者にとって「読みやすくて肌に合う」作品ならそれなりに評価されます。 ただ、そういった各要素で合格ラインを超えることも、あくまで手段の話です。 結局は楽しませたもん勝ちなので、楽しませるチャンスをいかにつかむかが重要だと思います。 そういったチャンスを目の前にした時、思考停止して「クオリティを高めとけばいい」と考えていないでしょうか? チャンスのつかみ取り方は状況により様々で、「クオリティを上げる」が最適であることも多々あります。 ですがそうでない場合の時には、クオリティなんか二の次でチャンスをつかみ取りに行く必要があります。 たとえばそこが砂漠なら、喉が乾いた旅人に懐石料理なんて作ってる場合じゃないんですよ。 一番先に水をあげた人が勝つんです。 ただの水を懐石料理と比べたらそりゃクオリティは低くなりますが、そもそもそういう問題じゃないんです。 そして喉が乾いた旅人に懐石料理を出して評価されないことに疑問を抱いているということは、旅人、つまり読者が見えていないということだと思います。 疑問に答える形ならば、「読者を観察する目がまだ育っていないから」でしょう。 見るべきは他の作者じゃなく、自分の読者です。 とにかくそれを徹底すれば、「評価されている人はやるべきことをやっている」というのも見えてくるので、疑問は解消されるかと思います。 自分の読者を見ず他の作者ばかりを見ることは、毒にしかならないと思います。
マシュマロちゃん
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