南海太郎朝尊に葬式に来てほしい、あわよくば弔辞を読んでほしい。未亡人のおねえさんの幻覚を見るだけでは飽き足らずこんな幻想を抱くようになりました。先生のイラストで南海太郎朝尊におねえさんを見るようになってからまさかの原点回帰、喪主と言わなかったのは理性が僅かに残っているからです。これすらもう間もなく手放します。
葬式に参列する南海太郎朝尊はどんな服を着るでしょうか。私としてはブラックスーツを着てほしい。もちろん和服も美しいのです。重ねて着付ける都合上ボディラインが隠され肌の露出が極端に減り、オーバーシルエットがその場の緊張感も手伝って近寄りがたく感じるでしょう。一方絹の滑らかで品のある光沢と対比のような白く美しい肌、控えめにまとめられた御髪、立ち姿はさながら一輪の白百合。どこか幸薄く陰りのある微笑みをたたえる姿は宗教画にも勝る麗しさです。
しかし、私はブラックスーツを着てほしい。和服は線が沢山重なった複雑な調和、まさしく和を感じる美しさです。対してスーツは洗練された機能美。和服と比べ重ねる布の数が少ないためシルエットもスラリと細く長くなり元より美しい体型がより魅力的に映り、きちんと締められたネクタイによって首元が強調され堅実さが演出される。その場にいる誰1人遡行軍をそのまま罠にするようなぶっ飛びモラリティの持ち主とは思わないでしょう。
もしそんなスーツ姿で私の横たわる棺桶に白い菊を手向けてくれるのなら、そこを人生の絶頂とすることができます。まぁ私の葬式なのでその時にはもう私の人生は終わっているのですが。どうして人間は自分の葬式を1度しかあげてもらえないのでしょうか。3、4回機会があってほしいものです。